ジャニー喜多川の性的虐待やセクハラなどの報道されなかった真実とは?

7月9日、現在のジャニーズ帝国を創り出したジャニー喜多川社長が、87歳で亡くなったことが明らかとなりました。

これだけ今までに「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」などと数々の偉業を成し遂げてきた人物ですが、

実は、テレビやニュースなどではほとんど報道されてこなかったジャニーズ達への性的虐待疑惑セクハラなどの噂があるようです。

 

今回は、そんなジャニー喜多川のホモ伝説である性的虐待やセクハラなどの真実についてまとめていきたいと思います。

 

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ジャニー喜多川の性的虐待やセクハラの実体験を暴露!?

ジャニー喜多川さんの性的虐待やセクハラ行為が初めて明らかとなったのは、今からなんと55年前もの1964年の出来事だったそうです。

きっかけは、現在の『ジャニーズ事務所』が独立する前に、授業料やスタジを料をが支払われていなかったため、新芸能学院から270万円を請求されたことがきっかけでした。

裁判によって同僚の証言からジャニー喜多川さんが少年たちにいかがわしい画像を見せたり、体を触ったり、自分の局部を触らせたりしていたことを暴露されたそう。

結局、すでに強大となりつつなったジャニーズグループによって隠蔽されてしまったため、事実であるかどうかは認められませんでした。

 

しかし、現在、元ジャニーズであった6人ほどのメンバーが、ジャニーズ喜多川さんによって性的な虐待やセクハラを受けていたと訴える暴露本を出版しているようです。

木山将吾の暴露本『Smapへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』

2005年3月に、光GENJIの候補メンバーであった木山将吾が、当時の状況を暴露本『Smapへ――そして、すべてのジャニーズタレントへ』として出版しました。

木山将吾さんは、暴露本にてジャニーズ時代だった15~17歳の2年間を振り返り、「ジャニー喜多川の愛人だった」「性の奴隷だった」と話しています。

当時、木山さんは、ジャニー喜多川さんの一番のお気に入りだったらしく、取材陣の前でも膝の上に座らされ、食事もジャニー氏の手で口に運んでもらっており、夜にはジャニー氏の欲望の捌け口として濃密過ぎる時間を過ごしていたそう。

 

高1の秋、木山さんが当時15歳のとき、初めてレッスン場に呼ばれた木山さんにジャニーさんは、「YOU! かっこいい! かっこいいよ! ユーならすぐにデビューできるよ! 今度、雑誌の『マイアイドル』の取材があるからYOUを出してあげるね!」

といきなり、デビューの話を持ちかけてきたそうです。

その後、ジャニーさんは、木山さんを合宿場に連れていくと、急に一緒に風呂に入らされ、全身をくまなく洗われる”泡風呂の儀式“と、入念なマッサージの洗礼を受けさせられたそう。

なんとなくおかしいと感じながらも、デビューをほのめかすジャニーさんの言葉に惹かれ、大きな問題として考えていなかったそうです。

 

その後、2回目、3回目と合宿所を訪ねるごとに、ジャニーさんの性的な虐待行為はエスカレートしていったよう。

後ろから抱きしめられ、硬くなった股間を”まるで発情した犬のように”太ももに擦り付けてき、そのまま擦りつけ続け、服を着たまま状態でズボンの中で果ててしまったたり、舌技をしかけられ、木山氏はジャニーさんの口で終えてしまったり

 

あまりにも過激すぎる内容であるため、全てを書くことは難しいそうですが、当時15歳だった木山さんにあまりにもキツく苦しかった日々だったようです。

これも全て光GENJIとしてのデビューという夢へのチケットを手に入れるための試練だったそうですが、その夢もあることがきっかけで簡単に崩れ落ちてしまったんだとか。

 

ある日、「次は木山くんだから。注射打たれる番」と言われ、ジャニーさんの部屋にある「ホルモン剤」とも「覚せい剤」とも噂されていたその不気味な注射を打たれることを要求されたそう。

その注射はジャニーズとしてデビューが決まったタレントに強制的に打たされるそうで、木山さんはこれを受け入れることができませんでした。

すると、ジャニーさんからの二度と呼ばれることがなくなり、すでに撮影済みだった光GENJIのポスターは、木山さんの写った右端をカットした形で発表され、その存在は”無かったもの”にされてしまいました。

豊川誕の暴露本『ひとりぼっちの旅立ち』

豊川誕さんは、推定3歳の頃、兵庫県姫路市の公園のベンチで父親に置き去れた幼少期を送り、いまだに両親の顔を知らないといった環境で育ったそう。

そのような環境で育った豊川さんは、当時15歳の頃、ゲイバーで自称“ジャニーズ事務所のタレントのマネジャー”出会い、ジャニーズ事務所に入所しました。

ジャニーズに入所すると「辛い仕事があった」と表現し、「ジャニーさんの部屋であった彼のベッドで毎晩、自由にされ続けたのだ」と書き綴っており、おそらくこの表現はまだ、控えめな表現であることは予想できます。

そのかいあってか、入所した最初の1週間でステージに立つことができたそう。

 

また、豊川さんは、ジャニーさんのことを不思議と彼を恨む気持ちはなかったそうで、むしろ大きな感謝と敬意を抱いていると綴っています。

メリーさんが怒り役のお父さん、ジャニーさんは怒られた少年たちを慰めるお母さん」とも表現しており、どうやらジャニーは母性的な存在であったそう。

幼い頃に両親に捨てられた豊川誕さんならではの独特な感情を抱いているようでした。

 

また、当時のジャニーズ事務所は、私生活に関しては、とても寛容だったそうで、合宿所の中での酒や煙草は、未成年者でも暗黙の了解どころか、ドラックも許されていたのだそうです。

中谷良の暴露本『ジャニーズの逆襲』

19867年9月後半、すでに人気グループとなっていたジャニーズの4人のメンバーの1人である中谷良は、当時11歳だった頃にジャニーさんから性的な虐待を受けていたことを赤裸々に告白していました。

ある日、中谷さんが1人でジャニーさんの家に遊びに行くと、2人でじゃれ合いながら、「気持ちいいはずだよ、こうするとと言い、手を上下に動かして中谷さんを射精へと導いたそう。

他の3人のメンバーもジャニーさんから似たような性的虐待を受けていたそうですが、当時まだインターネットもなかった時代で、彼らは本当になにも知らなかったので、被害者意識はほとんどなく、当初は「変なおじさんだなー」と笑う程度だったよう。

 

その後、ジャニーさんの幾度ものセクハラ行為により、中谷さんは、性愛の本質を見失い、「結局は排泄行為でしかない」という思いに長く支配されていたそうです。

北公次の暴露本『光GENJIへ』

初期のジャニーズを代表するグループ・フォーリーブスのメンバーだった北公次もジャニーさんから虐待を受けていた1人だったそうです。

ジャニーさんとの出会いから、約4年半もの間、ジャニーさんとの行為は毎晩のように続いたそうで、もはや恋人というよりも夫婦のような関係にあったそう。

また、ジャニーさんに可愛がられなくなったらジャニーズとしての最後であったでそうで、実際にトップアイドルとしてフォーリーブスが国民的な人気を得るようになると、北さんは、ジャニーさんの求めを拒絶するようになったよう。

そうした間に、ジャニーさんの興味が郷ひろみや豊川誕、川崎麻世らのより若い世代に向けられるようになり、フォーリーブスへの情熱を失っていくようになると、人気は低迷し、解散へと進んでいったそうです。

 

本来これらの暴露された行為が事実となれば、重大な犯罪行為になり得ますが、ジャニーズ事務所があまりにも強大な力を持っていたことで、各メディアもそれを報道することができずにいました。

しかし、2003年には、週刊文春との記事をめぐる裁判では、ジャニー側の所属タレントへの同性愛行為を認められていた事実があるようです。

 

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ジャニー喜多川の同性愛行為が裁判で認定!?

1990年代後半なると、週刊文春がジャニーズ事務所を批判するキャンペーンをはじめ、ジャニー喜多川の同性愛強要や、タレントの喫煙について取り上げる記事を公開しました。

するとこれに対し、ジャニーズ事務所は、記事が名誉毀損であるとして、文春に対し約1億円の損害賠償を要求する民事訴訟を起こしたそう。

2002年(平成14年)3月27日の一審判決では東京地裁は文春側に880万円の損害賠償を命じた。文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。2003年(平成15年)7月15日の二審判決では、ジャニー側の所属タレントへの同性愛行為を認定した(矢崎秀一裁判長)。このため、同性愛部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年(平成16年)2月24日に棄却され(藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と同性愛行為の認定が確定した。

出典元:Wikipedia

ここで興味深いのが、2003年の二審裁判にて、「ジャニー側の所属タレントへの同性愛行為を認定した」といった部分である。言ってしまえば、ジャニー喜多川さんのタレントに対する性的虐待の可能性があることを認めてしまったようなものです。

 

さらに2000年には、ジャニー喜多川さんの性的虐待に関して、国会でも取り上げられていました。

下記の引用は、当時坂上議員が質問した内容となっています。

次に最も深刻な問題であるジャニー喜多川社長のセクハラ疑惑についてお聞きしたいと思います。

報道によれば、ジャニー喜多川社長は、少年たちを自宅やコンサート先のホテルに招いて、いかがわしい行為を繰り返しておるという内容のものであります。

なぜ少年たちがこんな行為に耐え忍んでいるかといえば、ジャニー喜多川社長に逆らうと、テレビやコンサートで目立たない場所に立たされたり、デビューに差し支えるからというのであります。

私は独自の調査で、ジャニーズ事務所に所属していたことのある少年の母親の手紙を手に入れました。少し長くなりますが、御紹介をさせていただきます。

うちの現在高校二年生の息子も、中三の冬にオーディションに合格し、約一年間ジャニーズジュニアをしていましたが、事務所からのコンタクトがなくなり、自然にやめたような形になりました。

ずっと後になって息子から聞いたのは、オーディションに受かってから初めてレッスンに行ったとき、先輩のジュニアから、もしジャニー喜多川さんから、ユー、今夜はホテルに泊まりなさいと言われたとき、多分ホモされるかもしれないけれども、それを断ったら次から呼ばれなくなるから我慢しろと教えられたそうであります。

息子はジャニーさんの好みでなかったらしく一度も誘われなかったので、清い体でやめることができましたが、何人かはこの行為を受け、お金をもらっていたそうであります。今テレビでにこにこして踊っているジュニアたちは、陰ではそんなつらい思いをしておるかと思うとかわいそうです。こういう内容であります。

こういうことが事務所でまかり通っているわけであります。

ジャニー喜多川氏は、親や親権者にかわって児童を預かる立場であります。児童から信頼を受け、児童に対して一定の権力を持っている人物が、その児童に対して性的な行為を強要する。もしこれが事実とすれば、これは児童虐待に当たるのではありませんか。

当時は、これらの発言がかなり話題となり、問題視されてそうですが、2000年代中頃ぐらいからピタッと報道されなくなってしまったんだとか。

業界でも圧倒的な力を持っていたジャニーズ事務所であるがゆえに、多くの人気グループを抱えるジャニーズに喧嘩を売ることは、ジャニーズを二度と出してもらえなくなる懸念から、テレビ会社を含め、多くのメディアが性的虐待疑惑についてどころか、都合の悪い報道は、一切されなくなってしまったそう。

 

そのため、今やジャニー喜多川さんの性的虐待疑惑やセクハラ、ホモであるなどについて知らないという人は多いのではないでしょうか。

6人もの元ジャニーズの暴露本が出版されたり、裁判所にても同性愛強要の可能性が認められたのにも関わらず、ジャニーズ事務所という強大な力のため、野放しにされたままだったようですね。

ジャニー喜多川さん死去に対して鮎川太陽さんが意味深なツイート

ジャニーズJr.内ユニット「Ya-Ya-yah」の元メンバーである鮎川太陽さんが、ジャニー喜多川さんの死去を受けて意味深なツイートをしていることが話題となっています。

そのツイートがこちら!


特にきになるのは、「過去のことはずっと口に出さないようにしていた。それが俺の生きる道だし、生きる術だったから。小5から今まで一時だって忘れたことはない。胸が痛い。」の部分。

はっきりとは言っていませんが、鮎川さんが、少5の頃からジャニー喜多川さんから性的虐待・セクハラを受けていたかのようにも感じ取れますよね。

 

もしそうであれば、小学5年生の男の子にそのようなことをしていたということになります。

すでに亡くなった方を責めるわけではありませんが、これが本当なら大変許されるべき行為ではありませんよね。

 

鮎川さんは、現在28歳でから小5となると今から18年前の2001年のこととなります。ジャニー喜多川さんは当時69歳で、週刊文春と裁判で争っていた時期です。

いつまでジャニー喜多川さんの性的虐待が続いていたのか?はっきりとはわかりませんが、このツイートから少なくとも2001年頃、つい最近まで続いていたのかもしれませんね。

ネット上の反応は?

 

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